神社について
御由緒
縁結び・産業繁栄・諸難抜除の神として崇敬をうけております天穂日命は、天照大神の第二子であり、大八洲国(おおやしまのくに)の主宰神であった大国主神と国譲りの交渉を結ばれました。その後、大国主神の大神殿を築き、自ら祭主となられました。その血脈は永々と継承され、今日も御子孫が祭主として出雲大社をお祀りしておられます。当神社の創始は不詳ですが、天穂日命が高天原より降臨された磐座が六甲山頂に現存することや、境内に横穴式石室古墳があることなどから推察して、約千四百年前にはすでに六甲山を聖地として崇める豪族が芦屋の地にあり、山の神を遥拝する施設としてこの里宮を建立したのではないかと考えられます。また、平安時代の歌人である猿丸大夫の墓所があることや、古来この地を天神山と称することからも特別な聖域であったことがうかがえます。明治時代には、国の法令により神社合祀令が発布され、芦屋村に点在する全ての神社に合祀申し上げ、芦屋村総鎮守となりました。よって、当神社は十七柱もの神々を奉斎しております。
本殿
天穂日命天照大神豊受大神木花開耶姫命猿田彦神須佐之男神彌都波能売神大山咋命正勝吾勝勝速日天忍穂耳命大己貴命大山祇命八衢比古命/八衢比売命伊邪那美命国常立命国狭土命久那度命
天穂日命(あめのほひのみこと)
天穂日命は天照大神と須佐之男命が誓約(うけい)の際にお生まれになった次男神で、出雲の国の主宰神、大国主命との国譲りの交渉のため、高天原(たかまがはら)より葦原中つ国(あしはらのなかつくに)へ派遣されました。『古事記』や『日本書紀』には、出雲へ派遣された後、三年間復命が無かったと記されていますが、『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』によれば、地上の様子を視察報告し、荒ぶる神々を平定したとされています。国譲りの後、大国主命を祀る出雲大社を築き、天穂日命の子孫が出雲国造(現在の出雲大社宮司 千家家の祖先)となり、現在でも大国主命の祭祀を司っておられます。そのため交渉の神、縁結びの神、産業繁栄の神様として厚く崇敬されておられます。天照大神(あまてらすおおみかみ)
伊邪那岐命は亡き妻の伊邪那美命を慕って黄泉の国を訪ね、多くの穢れに触れてしまいましたが、生還した後に川で禊をし、左目を洗ったときに天照大神がお生まれになりました。天照大神は伊邪那岐命のご命令により、高天原を治める神となりました。弟神である須佐之男神の乱暴な振る舞いを悲しまれ、天岩戸へとお隠れになられた時には、世の中は光を失い、作物も育たず、秩序も失われたそうです。八百万の神の中で最も尊い神さまであり、太陽、光、慈愛、真実、秩序を司る神、皇室の祖先神、そして全ての国民の御祖神として伊勢神宮(内宮)にお祀りされています。豊受大神(とようけのおおかみ)
豊受大神は穀物の神である稚産霊神(わくむすびのかみ)の娘で、食物を司る神として伊勢神宮の外宮にお祀りされています。『止由気宮儀式帳』(とゆけのみやぎしきちょう)によると、第二十一代雄略天皇の夢に現われた天照大神は、「私一人ではさびしいし、食事も心やすらかにとれないので、豊受大神を御饌の神としてそばに呼んでほしい」と宣託したそうです。そこで雄略天皇は、丹波国から豊受大神をお迎えして伊勢の地に祀ったと伝えられています。なお、豊受大神は全国の稲荷神社でお祀りされる倉稲魂神ともご同体と云われています。木花開耶姫命(このはなさくやひめ)
木花開耶姫命は大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の妃、海幸彦・山幸彦の母、そして神武天皇の曾祖母にあたります。木花開耶姫命は一夜にして身ごもったため、邇邇芸命に疑われますが、身の潔白を証明するため、産屋に火を点け、燃えさかる中で3人の子供を無事出産されました。火の中で出産されたことから火の神として崇められ、更には富士山に坐す神として静岡県の富士山本宮浅間大社をはじめ、多くの浅間神社の御祭神となっています。また、安産の神さまとして各地の「子安神社」にお祀りされています。猿田彦神(さるたひこのかみ)
猿田彦神は、天孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が高千穂に降り立つ際、高天原と葦原中国(あしはらのなかつくに)の境にある天之八衢(あめのやちまた)という道がいくつにも分かれている場所で天孫一行を出迎え、ご先導をされた神さまです。このことから、道ひらきの神、道案内の神、旅行交通の神として崇められています。天孫一行のうち、先ず猿田彦神に素性を尋ねたのが天宇受売神(あめのうずめのかみ)で、これが縁となり二柱の神は結婚されました。猿田彦神の容姿は、鼻の長さが七咫(あた)(約126cm)、身長が七尺(約210cm)と古事記や日本書紀に記されており、天狗さまとも見なされるようになりました。須佐之男神(すさのおのかみ)
須佐之男神は天照大神の弟神で、日本の神々の中でも、とりわけ人間らしいと云われる神さまです。高天原で乱暴な行いをして追放されますが、その後、出雲の国で八俣の大蛇を退治し、その時に助けた櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し、出雲の地に御殿を構えて静かに暮らしました。「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ和歌は日本で初めての和歌と伝えられています。五穀豊穣、防災除疫、学問上達、縁結び、厄除けの神さまとして信仰されています。日本三大祭りの一つである祇園祭を斎行する八坂神社の御祭神でもあります。彌都波能売神(みつはのめのかみ)
彌都波能売神の「ミツハ」は田んぼに水を引く灌漑用の水路や生活用といった「水が走る」や「水が這う」という意味があり、「水つ早」として井戸や泉の出始めの意味もあり、水の神さま、井戸の神さまでもあります。水は人間の命の源であり、農業や漁業、工業などあらゆる分野で必要不可欠ですが、彌都波能売神が特に農耕と関係深いのは、地母神的性格を持つ伊邪那美命の尿から誕生されたからだと考えられています。昔は、糞や尿は作物を栽培するうえでとても大切な肥料でしたので、尿から生まれた彌都波能売神は肥料の神さまでもあったのです。大山咋命(おおやまくいのみこと)
大山に杭(咋)を打つ神、つまり大きな山の所有者を意味する山の神さまです。日吉大社や松尾大社のご祭神で、開拓の守護神、酒造の神さまとしても知られています。京都の下鴨神社のご祭神である賀茂玉依媛命(かものたまよりひめのみこと)は大山咋命の妻で、上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)は、大山咋命のお子さまにあたります。山の神ですので、治山・治水・農耕の守護神としても信仰されています。正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は天照大神のご長男神で、天安河(あめのやすかわ)にて須佐男之神と行った誓約(うけい)でお生まれになられました。当社の御祭神、天穂日命の兄神であり、天孫降臨の瓊瓊芸命(ににぎのみこと)の父神でもあります。お名前は、天照大神が誓約の際に、「正しく吾(あれ)勝てり」と云われたことに由来します。「勝」の字が3つもつくことから、勝運上昇の神さまであります。英彦山(ひこさん)神宮(福岡県)や太郎坊宮(滋賀県)など修験道と習合した神社でお祀りされています。また、阪神間では神戸市の二宮神社の祭神としても知られています。大己貴命(おおなむちのかみ)
大国主命は青年期の名前を大己貴命といい、因幡の白兎を助けるなど、その優しき心に嫉妬した八十の兄神たちに2度も殺されます。しかし、そのたびに母神の助けにより蘇生し、さらには須佐男之神の試練に耐えぬき大国主命として葦原中国の王となりました。その後、少名毘古那神と協力し、国造りを成し遂げ、のちに天上界の神々(天津神)に国譲りしました。天津神は出雲の地に大国主命の大神殿を築き、その祭祀を天照大神の第二子であり、芦屋神社のご祭神である天穂日命に託したのであります。尚、今日も、天穂日命の子孫である千家(せんげ)家が祭祀を司っています。大山祇命(おおやまつみのみこと)
伊邪那岐命と伊邪那美命の子で、木花開耶姫命の父でもあります。「オオヤマツミ」とは「大いなる山の神」という意味で、別名の「和多志大神(わたしのおおかみ)」の「わた」は「海」を意味することから、山と海、両方を司る神さまです。木花開耶姫命に子どもが生まれた時、天甜酒(あまのたむさけ)を作り神々に振る舞ったことから、造酒の神さまである酒解神(さけとけのかみ)として、酒造りに携わる人々から信奉されています。 また、山の神であることから、林業、鉱山、水、田の神さまとしても信仰されています。八衢比古命/八衢比売命(やちまたひこのみこと・やちまたひめのみこと)
八衢比古命、八衢比売命は夫婦神です。「古事記」、「日本書紀」にはその名は見えませんが、もっと古い民間信仰の神さまであったのではと云われています。八衢とは辻の意味で、この二神は道路の四辻や分岐点等を護られ、悪霊を退け災厄を防ぐと云われており、道路交通安全の守護、悪魔除けの神として崇められています。また、別名を「塞(さい)の神」と申し上げることから「幸神」「妻神」として、幸福をもたらす神でもあります。伊邪那美命(いざなみのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と日本の国土を誕生させた「国生み」や、多くの自然神や文化神を誕生させた「神生み」を行ったことから、国堅めの神や生命の祖神として崇められています。神生みの途中、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになられた際、大やけどを負って亡くなられ、黄泉の国の黄泉津大神(よもつおおかみ)となります。 このように生と死両方を持ち合わせているので、生産豊穣の神さまでもあり、死を司る神さまでもあります。国常立命(くにのとこたちのみこと)
天地のはじまりの際に出現した神で、「日本書紀」では、陽気のみを受けて生まれた、全く陰気を受けない純粋な男性の神さまとして記されています。また、「古事記」では神世七代の最初に現れた神さまとして記され、神世七代の最後に現れた天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為す神であり、性別も無く、姿も現さなかったと記されています。 最初に神気を顕わされた神ですので、国土形成の根源神、国土安泰、立身出世の神さまとして崇められています。国狭土命(くにさづちのみこと)
山の神であります大山祇命(おおやまつみのみこと)と、野の神であります鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)との御子神で、土を司る神です。生命力の向上、五穀豊穣の神さまとして崇められています。農耕民族である日本人にとって、土はとても大切なものです。「さ」には「神聖な」という意味があるで、「野の神聖な土の神さま」と云うのがその名前の由来です。久那度命(くなどのみこと)
黄泉(よみ)の国から帰ってきた伊邪那岐命が、身に付けていたものを投げ捨てて禊をする際に、捨てた杖から生まれたとされています。「くなど」は「来な処」すなわち「来てはならない所」の意味で、もとは、道の分岐点、峠、あるいは村境などで、外からの悪霊の侵入を防ぐ神さまであります。古来より牛馬守護、豊穣の神さまとされ、更には禊(みそぎ)、魔除け、厄除け、道中安全の神さまとしても崇められています。出雲神社
大国主神菅原道真公伊邪那岐命火産霊神竃神少名毘古那神